高い天井と暖炉の火、ゆらめくろうそくの炎、ゆったりと流れる高原での時間、心地よいボサノヴァと香るコーヒーをお供に、お気に入りの写真集をみつけたらソファにしずんでツラツラ眺め、身にまとったあわただしさをぬぎすてて下さい。
瞬間、瞬間に見せる、香嶽楼の顔。いつお越しいただいても新しい発見、よい出会いがあります。
明治19年10月7日 鹿島建設の棟梁・鹿島岩蔵により創業。信越線の開通工事を請け負い、赤倉の湯に遊んだ際、その前途に着目し近代旅館の経営に乗り出したのです。名香山という地名から『香』の字を取り、山のいただき『嶽』に在るホテル『楼』として命名されました。当時父祖伝来の旅籠屋ばかりだった赤倉温泉に、初めて近代企業の花形である“株式会社”の旅館が参入した記念すべき日であります。北白川宮、徳川家達、新潟県知事などが当館を宿舎に当てましたが、明治32年来館された尾崎紅葉が、当代文筆家として赤倉を天下に知らしめたのです。その後、都会の方々が赤倉温泉の気候・風土・山水の敬称に着眼し、別荘を建て避暑地としましたが、その先駆をなしたのが一代の芸術家岡倉天心でした。彼により当時の芸術家・文人・歌人、また資産家に紹介され、その中の多くが当館に滞在されたのです。