ウチの板前のTは、中ノ俣(ナカノマタと読む)という村の出身。
そこの田んぼで自生しているクレソン。
一度だけ連れて行ってもらったそこは、まるで昔話そのまま。
かつて馬を飼っていたという土間に入ると、かすかに匂う土と草、
左手には、村の皆や親戚が集まったであろう、囲炉裏がきってある広間、
高い天井には、取り外された自在鍵の跡、
鴨居にはモノクロの祖父母たち・一族の写真が並ぶ。
そこで今、2人っきりの生活をしている彼の両親の顔は
長年の田畑の世話で陽に焼かれ、深いしわにおおわれている。
私を迎えた日、しわの奥の瞳の穏やかさに、圧倒された。
彼らの田んぼは今、新幹線の支柱工事で水の危機にさらされている。
そこで自生しているクレソンを、
たびたびTは運んで来る。
それは、中ノ股の、風と水の味がする。
クレソンとカッテージチーズのそばつゆあえ
いたずらに和風にしたのではなく、目からウロコの美味しさ。
生では食べないうちの子たちも、モリモリ食す。